眠れない夜の為に-チープな午後3時-

眠りに落ちるまでのほんの僅かな時の、友として

繋ぎ合う手、通い合わぬ心

第10夜


犬問題は大問題

早朝から隣家の犬が恐ろしく吠えていて
殺意が芽生えました
朝のうちは涼しいから窓を開けたくなるのは
分かるけれど、うちに面した側の窓を開けて
室内で犬が1時間以上鳴きつづけています

家人は何とも思わないのか?

以前は外で飼っていて
家人が仕事に出て留守の間
ずっと狂ったように鳴いていたので
苦情は云いに行ったのです

犬がかわいそう過ぎるから

いや、うるさいから

そしたら室内で飼うようにはなったけど
窓を開けたら同じこと
デリカシーが欠如しているんですね

朝は5時から、夜は23時までずっと鳴いています

どうすればいいんだろう


僕はもうすぐ実家を出るけど
ここに住む両親が気の毒だ
もう何年も窓を開けない生活なんだもの






ある人に出会い、或る記事に出会った

はてなブログ初心者のぼくは
時間があればいろんな人のブログを
読んでいる
この前、このブログの記事を読ませて
貰ったとき、ちょうど自分も同じような
事を考えていて、そのきっかけとなる出来事
に遭遇していた

kuroyanさんほどの文章力は
無いし、考えも実は違っているのだろうけど
この記事にインスパイアされて
今回の記事を書くきっかけとなったので
ぜひ、読んで頂きたい
kuro-yan.hatenablog.com


覗き込む善意

先日、10年以上会ってなかった
昔の知人にばったり出会った
一緒に仕事をしたことがある程度の知人

ばったりというか、向こうがぼくを
見つけて来て、顔を覗き込まれたのだ

変な人がいる!


と思ったら知人だった


ああ、久しぶり。
ちっともおかわりないですね
むしろ若返ったみたいですよ!

多少の社交辞令も含めて
咄嗟に思いついたことを口にする


「良かった〜、蓮丹生くんに
会いたいと思ってたのよ」


うそやん

「会えると良いな、って思ってたら
本当に会えちゃったわ」


うそやん


そうなんですか、ハハハ
みなさんお元気にされていますか?


「あのさ、日曜日!日曜日ね
来て欲しいのよ」


はい??


「絶対!悪い話じゃないの
スっごくいい話だから!とっても
いい話よ!」


何がだよ?

「これね、あたしの名刺
来てね、絶対よ!必ず!いいわよ
これで蓮丹生くんの未来も開けるわよ」


なんなの?
あなた人の話は聞かないの?
ってかあなたの話もよく分かんない!
ちょっと待ってよ

って口にすることすら出来ぬまま
風のように彼女は去って行った


だからなに?


さっぱり分からない。


多分何かのセミナーに関わっていて
ぼくを勧誘したんだと思う

でも、具体的にあの人が何をやってて
今も続いてそれに関わっているのか
ぼくは全然知らない
知りたいとか知りたくないとか以前に
彼女にそこまで深く関わっていた訳じゃ
ないから、本当に何も知らないんだ


名刺貰ったな

名前と電話番号
それだけの名刺
なんの情報も得られなかった


何だろうなぁ、と一応思ってはみたけど
あとを引くほど知りたくもない
ただ、彼女が

「これで蓮丹生くんの未来も開けるわよ」

って言ったのが少し引っかかる

《蓮丹生くんには、まだ未来があって
その未来はまだ開けていない》


彼女はそう思っている

どうしてそんな事言うんだろう

能力者としての彼女

確かにぼくは現在無職だ
訳あって、秋から新しい仕事につく
ただいまニートなのだ
だけど、10年以上ぶりの彼女が
そのことを知ることも無い

心が読める能力者なのか


どうして分かったんですか?

ぼくが問うとする

「それはね、○○のおかげなのよ」

きっと彼女はそう云うだろう


別にぼくは自分の未来が開けてない
とは思ってないんだけどな

「そう思うでしょ? 違うのよ。あなたは
こんなところでいる人じゃないの
もっと上のステージにいけるのよ
行くべき人なのよ!」

こうも言うかもしれない

こういう距離感の無い善意は
未必の故意とでもいうべき悪意を孕んでいて
時にぼくを不快にさせる

汗がすごいわね、といって
自分の汗を拭いたばかりの湿ったハンカチで
勝手に首筋を拭われるような不快さだ


だけど、この手の人たちは
ある意味本当に能力者なのだと思う
ああ言えばこう云う
こう言えばああ云う
あるのは常に前向きな気持ち
ポジティブ思考
どんなことを言われたって構わない

あたし、間違ってないもん!


正しいことを世の中の人に広めるのには
多少の困難はつきのもだわ
キリストの受難と同じことよ

きっとそう思っている
そう思い込める能力者なのだ



そこまでこの人たちを動かせる原動力とは
いったいなんなのだろうな


淋しがる君の手


実をいうとぼくはこの手の話を聞くのが
嫌いじゃない
といってもそんな素晴らしい未来に憧れたり
不幸を打破したいと思っているわけでは無いよ

一言でいえば興味がある
どういう手法で勧誘するのかとか
どうしてこれにハマったのかとか
どうなって行きたいのか

自分と違う考えを持つ人の事を
知りたかったりします


今までのいろんな人の話を聞いて思うのは
みんな言うほど幸せじゃない
幸せの途上に居るかもしれないけど
本当はそれほど感じていない

本当は孤独で淋しいのだろうと思う

押しつぶされそうな不安を抱えながら
それでも虚勢を張っていく
不安いっぱいの自分を直視できなくて
憑りつかれたように他人に「幸せ」を
押し売りしている

そうすることでたくさんの手を握っていたいのだ
少しでも多くの人の手を握ることで
自分を立たせている
すぐに倒れてしまう弱い自分を、誰かの手を
握ることでかろうじて直立させているのだ

もちろん、その誰かの手を
信じてはいない
これっぽちも信じちゃいない
手はいつの間にか離されてしまうもの
他人はそこまで自分以外の人の人生に責任は持てない
それぞれの暮らしがあり、生き方があるのだから
対して必要と感じないことは
とりたてて意識しなくとも、自然と切り捨てられていく


だから、少しでも多くの人と手を
繋ぎ合っていたいのだ

代わりはいくらでもいるもの

その為なら人にどう思われようが
世間での暮らしが不自由だろうがいとわない
なけなしのプライドがいきつく先は

「私は彼らに幸せを与えているのだ」

という自己満足だ

本当は「彼ら」の方が「私」を憐れんで
おつきあいで手を握ってくれているだけなのを
認めたくなくて、だから人の話しなんか
聞かない

聞きたくもない


だからぼくは、この手の人たちとは
心が通い合わないのだ

一方的に思いをぶつけることで
傷ついた相手のことなど一切眼中にない人と
どうやって心を通わせられるというのか




今日、今時点ではぼくはこう感じる
だけど、明日は分からないな、と思う
明日また違ったタイプの人と出逢うのかも知れない
明日は、自分が向こう側に行ってしまうかも知れない


それに、思うんだ
だったら、美味しいパン屋さんを
紹介してくれる人と、この人たちの
違いはなんだろう


それが知りたくて、ぼくは今日も
話しを聞き続けているのかも知れない



では、また。